2013年04月29日
小山明子、うつ病で4度入院を乗り越え元気に
世界的に有名な故大島渚監督の妻である小山明子。
彼女は自殺することを家族に告げ、走ってくる電車に飛び込もうとしたことがあるそうです。
理由は、夫の大島渚が海外渡航中に脳卒中で倒れたとき、
すぐにそばへ行けなかった自分を責め続けたからでした。
なぜ即座に外国へ飛び立てなかったのか。
当時、映画「御法度」の製作発表がなされていて、
小山明子が慌てふためいてしまうと、
マスコミに再起不能・莫大な借金などと書きたてられることを心配した事務所が止めたからでした。
数週間も心配し続け、ご飯も喉を通らず、憔悴しきった小山の前には変わり果てた大島の姿が・・・
彼は半身不随の状態で24時間体制の介護が必要な状態に陥っていたのです。
絶望に打ちのめされうつ病になり、精神科の病院に入退院を4度も繰り返したとのことです。
それでも、必死にリハビリに励む夫の姿に励まされ気を取り直します。
大島は奇跡的回復を果たし、映画「御法度」は完成。
興行成績10億円のヒットになりました。
しかしその後内臓の病気にかかり、松葉杖で歩くことさえできない状態になり介護の重圧はより負担のかかるものになります。
でも小山は、この不幸を笑顔で受け止める力を身につけしっかりと向き合います。
ずっと一緒にいられることを無常の喜びだと感じられるまでになるのです。
食事制限も最低限のものに切り替え、できるだけ大島本人が食べたいものを、飲みたいものを与えます。
残り少ない人生を楽しく過ごさないなんて馬鹿げている。
結婚50年の記念パーティーでフランク永井の「有楽町で逢いましょう」をいっっしょに歌う2人。
大好きなワインで乾杯する2人。
この辺から涙が止まらなくなります。
人目をはばかることなく大島にキスをする小山。
彼女は心の底から大島渚を愛したのです。
爆報に出ていた小山明子はまだまだきれいで、とてもかわいいおばあちゃんになっていました。
どうかずっとお元気で。
そして、介護に悩む人々へ大きな励ましの言葉を送り続けてください。
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彼女は自殺することを家族に告げ、走ってくる電車に飛び込もうとしたことがあるそうです。
理由は、夫の大島渚が海外渡航中に脳卒中で倒れたとき、
すぐにそばへ行けなかった自分を責め続けたからでした。
なぜ即座に外国へ飛び立てなかったのか。
当時、映画「御法度」の製作発表がなされていて、
小山明子が慌てふためいてしまうと、
マスコミに再起不能・莫大な借金などと書きたてられることを心配した事務所が止めたからでした。
数週間も心配し続け、ご飯も喉を通らず、憔悴しきった小山の前には変わり果てた大島の姿が・・・
彼は半身不随の状態で24時間体制の介護が必要な状態に陥っていたのです。
絶望に打ちのめされうつ病になり、精神科の病院に入退院を4度も繰り返したとのことです。
それでも、必死にリハビリに励む夫の姿に励まされ気を取り直します。
大島は奇跡的回復を果たし、映画「御法度」は完成。
興行成績10億円のヒットになりました。
しかしその後内臓の病気にかかり、松葉杖で歩くことさえできない状態になり介護の重圧はより負担のかかるものになります。
でも小山は、この不幸を笑顔で受け止める力を身につけしっかりと向き合います。
ずっと一緒にいられることを無常の喜びだと感じられるまでになるのです。
食事制限も最低限のものに切り替え、できるだけ大島本人が食べたいものを、飲みたいものを与えます。
残り少ない人生を楽しく過ごさないなんて馬鹿げている。
結婚50年の記念パーティーでフランク永井の「有楽町で逢いましょう」をいっっしょに歌う2人。
大好きなワインで乾杯する2人。
この辺から涙が止まらなくなります。
人目をはばかることなく大島にキスをする小山。
彼女は心の底から大島渚を愛したのです。
爆報に出ていた小山明子はまだまだきれいで、とてもかわいいおばあちゃんになっていました。
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Posted by ベンジャミン at 06:03│Comments(0)
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