最近、知人の葬儀に出席した際に撮影された西城秀樹の写真が、まるで90歳の老人のように見えたので、
ある程度この日が来ることを覚悟はしていましたが、あと数年、せめて東京オリンピックの年までは生きていて欲しかった。
彼と私は年度は違えども同じ63歳、アジア初の東京オリンピックが開かれた1964年は10歳の時に迎えました。
一生の間に二度も自国の世界的スポーツの祭典を目にすることができる喜びを彼と一緒に味わいたかった。
私も二年後に生存しているかどうかは神様しか知りませんが、ヒデキの分まで長生きして100歳近くまで現役で働こうと思っています。
彼は家族との団欒の最中に、急に気絶してしまったそうです。
急いで病院に搬送するも心肺停止の状態で、必死の看病も虚しくその約一ヶ月後に心不全で亡くなっています。
倒れる直前まで、小川知子やあべ静江らと共に同窓会コンサートを全国で開催して、元気そうな姿を見せていました。
過酷なリハビリを一生懸命耐えながら家族を愛し歌を愛し続けたその姿は、多くの人々に夢と感動を与えてくれました。
沖縄でも二回、同窓会コンサートを開きましたが、その二回とも彼に会うために妻と那覇市民会館へ足を運びました。
他の共演者も素晴らしいメンバー達ばかりで、あべ静江の「コーヒーショップで」、尾藤イサオの「あしたのジョー」、
タイガースかはしかつみ(トッポ)の「廃墟の鳩」、今陽子の「恋の季節」、フィンガーファイブ・アキラの「学園天国」、
小川知子の「夕べの秘密」、青い三角定規・西口久美子の「太陽がくれた季節」などなど、
若い頃と寸分違わぬ歌唱力で40年以上前にタイムスリップさせてくれました。
極め付けは何と言っても西城秀樹の「ヤングマン」。
会場全体が彼と一体となって歌って踊りました。
ヒデキは確かにこの世を去りましたが、その記憶はこの先何十年と消え去ることなく私たちの心の中にしっかりと残ります。
天国では、思いっきり弾けて飛び跳ねながらヤングマンを熱唱していることでしょう。